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利き酒 [利き酒]

20080329

最近、少しばかり、利き酒の時のスタンスを代えています。

鑑評会や業者の試飲会等に参加して、少ない時間に沢山を飲まなくてはと、
どちらかと言えば、立ち香から含み香、そして戻り香も含めて、
香りを中心にして、美味しさのヒントを探すみたいな所がありました。
決して香りがよく出ているものを評価するという意味ではありません。
品の無いのはやはり駄目です。
香りに、品格や清潔感があるかを目安にしながら、
その香りに見合ったストラクチャーと、
そして持て余さない味わいのボリューム、あるいは肉付きを持ち、
バランス良く口の中で解きほぐされ、余韻がリリースされていく、
その一連の流れがスムースに感じられることを大切にしていたと思います。
言い換えると、そのお酒の持つ美味しさに、
解りやすく容易に辿りつける道標となるものがあるかどうか、
その標しとなるものがまず香りであり、
その道標をヒントにしてイメージされた味わいに、
迷うことなく辿り着けるか、
そういったものを探してお酒を評価してきました。

いうなれば、驚きへの期待を持ってその酒を飲むというよりも、
イメージした物への裏切りが無くその酒を飲めるかということを
基準にして、お酒を評価していたといえるかもしれません。

ところが、最近幾つかの場所で、お酒を飲んだ後の言葉に、
「もったいなくて、いつまでもずっと、味わっていたくて、
 なかなか飲み込むことができません。
 このお酒をずつと感じていたい」
といったような言葉を見つけ、ちょっと考えさせられる様になりました。
私は、評価をしているお酒の、ある一部分だけしか見ていなくて、
もっと、そのお酒の引き出しにあるものや、あったかもしれない可能性、
今ある現在だけでなく、過去と未来も覗いてあげないといけない、
そんなふうに思う様になってきたのです。

味がなくなるまで、味わい尽くしてあげなければ!

でも、これは当たり前のことだったかもしれません。

明日の千代酒造で、口のなかのお酒を、
いつまでもくちゅくちゅとしている奴がいたら、
それは私かもしれませんよ。

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