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今になって。 [雑記]

20080418

ここ数年、街歩きをする様になって改めて気付いたのですが、
世の中は色んな人達の労働によって支えられているということ。

家が酒屋という自営業だったせいもあり、
生活することと働くことが極近い所で引っ付いていて、
実のところ、学生のころには自分が将来働くということを
ちゃんと考えていなかったことに、今更ながらに思い知らされています。

情緒的なイメージでもって、自分がありたい姿を想像はしたりもしましたが、
具体的にこういう仕事がしたいというのがあったわけではなく、
知らないうちに、今の場所に流れ着いたというのが正解かもしれない。
決して、職業人として何者かになりたいなんて考えたこともありませんでした。

この間も、朝の北新地界隈を通り抜けていると、
朝から大声で騒ぎながら立ち小便をしているホスト風の連中がいる横で、
つなぎの作業服を着たオジさんがゴミを片つけていたりします。
その風景に意味を見いだしたりすることは、
私がかってに私自身の内面を写しだしているだけに過ぎないとも思うのですが、
それにしても、世界は様々な予兆や徴に満ちあふれていて、
色んなものを感じとれるよう、敏感でありたいとは願ってはいます。
行き交う人々、私が通り過ぎていく風景が、日々愛おしく、切なくなる毎日でありながら、
一方で目を背けたくなることや、耳を塞ぎたくなるようなことばかりでもあります。

望むべきことは、ごく些細なことで、
幸せかと問われれば、そこそこ満たされた毎日であって、
昔から私に欠落しているのは、野心とか強い欲動でもあり、
自分は草食動物でもなく、植物のような人生を歩みたいとも思う。

昔、敬愛するある人に朗読してもらった詩です。


僕は樹木のように  木下夕爾


僕は樹木のように自然で安定した傾斜をもつ

僕は自分を踏みしめそして縛りつけるためのふかい根をもつ

僕は熱くも冷たくもならないためのかたい樹皮をもつ


僕は仲間と触れ合うための枝と

笑い揺らぐためのみどりの葉をもつ


僕は午後の恋人たちにやわらかな影のマットをつくり

夕方それをしまいこむための太い幹と

彼らが僕から遠のいていくのを見送るための不変の高さをもつ

朝方駆け込んでくる若い駿馬のような風を馴らすための

かぐわしい空気と草花と光る湖水とをもつ


僕は夢見るための青空と

考えるための夜の星と

内部だけで抱くための年輪をもつ


僕は何ものももたないためにすべてをもつ

僕は孤りであるために全体をもつ





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