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通り抜けた後。 [雑記]

20080418

造幣局を通り抜けた後は、千林大宮にあるいつものお好み焼き屋さん、
「双基」に行きました。
前回、前々回と臨時休業でスカをくらっていたので、今回はめい一杯食べました。
大瓶ビールを2本に、焼きそばの大、エビねぎ焼、イカぶた入のお好み焼き、
二人で食べましたが、かなりの満腹具合です。
ソースの味が少し変わったのか、昔程スパイシーでは無くなっています。
粉もの業界の例にもれず、少しずつ値上げされていましたが、
もともとコスパは高かったわけですから、満足度には代わり無しです。

その後は千林商店街を抜けて、太子橋今市にある家内の実家に行きました。
久しぶり来たので、ミニチュアシュナウザーのリッツが手荒い出迎えです。
しばらくして、散歩に連れ出してやり、
30分程淀川の堤防沿いをうろうろとしました。
帰宅後は、銭湯に行き、その後しばしの昼寝です。
といっても、既に夕刻5時を回っています。

小1時間程うつらうつらした後に、守口にあるたがしら酒店さんに行きました。
いちも勉強させていただいています。
この日は、いわお師匠は倉庫でバイクいじりに熱中です。
瑞冠の純米活性にごりとリンゴジュースを買って帰りました。

瑞冠のにごり酒、ほどほどの活性具合で、ぬる燗でも美味しくいただけました。
ただし、金沢酵母使用のせいか、食べるものを選びそうです。
生魚とはもうひとつでしたし、
最悪だったのが、かぶらの塩漬けとべったらとの食べ合わせ。
ピルスナータイプビールともずくの組み合わせにも匹敵します。
瑞冠さんのお酒が決して悪いわけではありません。
日本酒は魚貝に万能というわけにはいかないので、お気をつけくださいませ。


今になって。 [雑記]

20080418

ここ数年、街歩きをする様になって改めて気付いたのですが、
世の中は色んな人達の労働によって支えられているということ。

家が酒屋という自営業だったせいもあり、
生活することと働くことが極近い所で引っ付いていて、
実のところ、学生のころには自分が将来働くということを
ちゃんと考えていなかったことに、今更ながらに思い知らされています。

情緒的なイメージでもって、自分がありたい姿を想像はしたりもしましたが、
具体的にこういう仕事がしたいというのがあったわけではなく、
知らないうちに、今の場所に流れ着いたというのが正解かもしれない。
決して、職業人として何者かになりたいなんて考えたこともありませんでした。

この間も、朝の北新地界隈を通り抜けていると、
朝から大声で騒ぎながら立ち小便をしているホスト風の連中がいる横で、
つなぎの作業服を着たオジさんがゴミを片つけていたりします。
その風景に意味を見いだしたりすることは、
私がかってに私自身の内面を写しだしているだけに過ぎないとも思うのですが、
それにしても、世界は様々な予兆や徴に満ちあふれていて、
色んなものを感じとれるよう、敏感でありたいとは願ってはいます。
行き交う人々、私が通り過ぎていく風景が、日々愛おしく、切なくなる毎日でありながら、
一方で目を背けたくなることや、耳を塞ぎたくなるようなことばかりでもあります。

望むべきことは、ごく些細なことで、
幸せかと問われれば、そこそこ満たされた毎日であって、
昔から私に欠落しているのは、野心とか強い欲動でもあり、
自分は草食動物でもなく、植物のような人生を歩みたいとも思う。

昔、敬愛するある人に朗読してもらった詩です。


僕は樹木のように  木下夕爾


僕は樹木のように自然で安定した傾斜をもつ

僕は自分を踏みしめそして縛りつけるためのふかい根をもつ

僕は熱くも冷たくもならないためのかたい樹皮をもつ


僕は仲間と触れ合うための枝と

笑い揺らぐためのみどりの葉をもつ


僕は午後の恋人たちにやわらかな影のマットをつくり

夕方それをしまいこむための太い幹と

彼らが僕から遠のいていくのを見送るための不変の高さをもつ

朝方駆け込んでくる若い駿馬のような風を馴らすための

かぐわしい空気と草花と光る湖水とをもつ


僕は夢見るための青空と

考えるための夜の星と

内部だけで抱くための年輪をもつ


僕は何ものももたないためにすべてをもつ

僕は孤りであるために全体をもつ





雨の通り抜け。 [雑記]

20080417

何故か休みの日には、目覚ましがなくても予定通り目が覚めます。
昨日は、午前6時にはベッドから出て、7時前にはウォーキング開始です。
ほぼいつものコースで、JR野田駅を通り抜け、
野田城跡と野田戎神社を経由して、レトロな佇まいのメリヤス開館へ。
福島天満宮の前を通り過ぎ、旧出入橋を渡り、朝の北新地界隈を抜けていきました。
御堂筋で南に向けて、大江橋と淀屋橋を越え、
朝食代わりのパンをコペンハーヴェスと購入し、北浜界隈から堺筋本町、
谷町四丁目へとジグザグにオフィス街を抜けて行きました。
途中、道修町のあの古い建物に見とれたり、
シェワダさんの入るレンガ造りの建物を見て歩きました。
雨はなんとか持ちこたえ、目的地の難波宮へは予定通り9時過ぎに到着です。
古い大阪の地図を見てみると、大阪にまつわる様々なイメージが、
今ある姿の大阪からだけではなく、過去に積み重ねられてきた
様々な風景が幾重にも塗り込まれたことがよく解ります。
難波宮のある上町台地の北端のこの地からは、まさに大阪の歴史が見渡せるようです。

復元された大極殿の真ん中に座り、さっき買ったパンを食べて朝食を済ませ、
もう一つの目的、大阪歴史博物館にあるなにわ歴史塾で資料探しです。

前回紹介された『古版大阪案内記集成』の酒に関するページのコピーを取り、
他にも興味深そうなのをいくつかピックアップしました。
大阪の地方史研究協議会というのが出している『大都市大阪と摂河泉』という本の中に、
灘目の水車技術に関する論文がありました。

産業革命以前の有力な動力源であった水車は、精米だけでなく、
油を絞ったり、小麦の製粉にも用いられていて、
特に灘における水車の利用は、江戸初期には絞油に用いられる方が多かったそうです。
灘酒の伊丹や池田のお酒に対する優位のひとつが、
六甲山から下る河川の急流を利用した、水車精米にあるといわれています。
江戸期までのお酒は、麹米と掛米ともに精白する諸白とともに、
麹米には玄米を用いる片白とよばれるものがありました。
麹米と掛米をともに精白する諸白の方が、玄米を麹米に用いる片白よりも
高級酒として扱われたのは現代の吟醸酒と同じようなもので、
片白のお酒に対して、諸白のお酒はいわば淡麗辛口のお酒です。
人力に頼ることが中心だったそれまでの精米技術が、
水車を利用した精米に切り替えられることによって、
格段の高精白米が得られるようになり、
灘における酒造りの生産性、更に酒質がより高まったといわれています。

現代ではイメージしにくいですが、
当時の酒造りの現場には先端技術が集まっていました。
原料である米は、葡萄等を利用する果実酒と比して、比較的に保存や移動が容易です。
江戸期を通じて、集約的に労働効率のあがる産業として、
日本酒造りは産業装置化していったともいえなくはなくて、
現代でも手造りを中心とする蔵では、100石に対して蔵人一人の労働力といわれますが、
これは当時も今もあまり変わらない数字です。
日本酒の仕込み行程そのものは、江戸期に完成されているといえます。
後に、その水車精米が電力を利用した精米機に変わったり、
上槽がヤブタを利用したりで、個別部分での効率化には向かっていますが、
基本的な生産性は変わらない産業であると言えます。

その他にも、酒槽や酒袋、薬灰等の道具面での歴史も、
もう少し広くあたる必要がありそうですね。

で、その後は造幣局の通り抜けにいきました。
12時前くらいだったのですが、雨にも関わらずかなりの人出で、
あまり楽しむ余裕はありませんでした。




軽いネタ。 [雑記]

20080414

どうも、日記のはずなのに、重くなりがちです。

昨日は、久しぶりに家内と外食。
お隣の福島区、聖天通りに昨年の秋にオープンしたビストロフレンチへ。
最近、雑誌等のメディアで紹介されることも多くて、
リザーブが難しくなるうちにと思い、行ってきました。
実は、このお店のオーナーシェフは私の従兄弟の同級生で、
若いながらに、なかなかの腕前という評判です。

店を閉めた後、雨の中を二人、30分程かけて歩いて行きました。
カウンターに2×4の8席で、奥にテーブルが一つ、
料理からお会計まで、一人で全ての仕事をこなしています。
単品もありますが、4000円のプリフィックスのコースがかなりお得とのことで、
それを二つ注文しました。
突き出しには、ハモンセラーノと春キャベツの蒸したもの、
前菜は五品あって、少量づつの盛り合わせでお願いしました。
鮪のタルタル、水なす、牛レバーのテリーヌ、サーモンの薫製、タマネギのキッシュ。
メインは、鯛の蒸し焼き(?)とベーコンにキノコをあしらったものと
子牛の舌肉を煮込んだ者にマッシュポテト添え、
デザートには、ブリュレとその上にいちごのコンポート、そしてコーヒー、
それらに、食べ放題の自家製パンつきでした。
まずは、価格が先行している評価といえるでしょうね。
決して、悪いわけではないけど、少し騒がれ過ぎかな。
料理の一品、一品に、少しずつ何か欠落感が伴います。
品数とポーションそのものにボリュームがあるので見過ごされているようですが、
常に何かが足りない感じが残ります。
ワインの価格設定が良心的なんで、ワインバー的に使うのには良いかもしれませんが、
料理に関しては、まだまだ進歩を期待したい余地有りです。

ちょっといいお店があったりすると、ブログ等を通じていっぺんに広がりますが、
ぱっと打ち上げられた花火は、消えて行くのも早いので、
じっくり育って行って欲しいものです。
ガンバレ!


リスタート [雑記]

20080411

阪神ナウのブログも再開しました。

http://hanshin-now.com/tsu-tan

こちらでは街歩き等のフィールドワーク(?)を中心に、
お酒に関する話を書けたらと思っています。

灘酒の歴史を調べたいと思っていたのですが、
近世大阪に関することを勉強をする必要がありそうですね。
今の大阪のイメージで過去の時代の大阪の街をイメージすると
かなり違ったものになりそうで、
大阪という都市が成立して来た歴史的経緯に興味が深まります。
その意味では阪神沿線はまさに摂津の文化圏になるんだと思います。
此花区から尼崎、そして西宮や神戸の関係は、今の行政区を当てはめると
歴史的な出来事の意味が見えなくなりそうで、
都市が成立していくダイナミズムは、時の権力者による縦割りの支配と、
一方で横断的に行われる人々の経済交流とのせめぎ合いにあるんでしょうね。
うちの近所の澪標住吉神社の灯籠には赤穂屋の文字があるのですが、
おそらく北前船との関連性がでてくるはずで、
以前に訪れた赤穂の坂越にある奥藤酒造さんという
400年以上の歴史を持つ蔵元の資料館には、
灘とも関連の深い資料がいくつか見られましたし、
廻船業等による遠方との交易を通じてその蓄財の一旦を担ったはずで、
大阪湾岸は決して播州地方とは遠い関係ではなかったのだと思います。

徐々にイメージは出来ているのですが、
研究論文とかでないので、どこまでまともなものに仕上がるかですね。

ちなみにソネブロ仲間のふーちゃさんが今年の神戸コンシェルジュをしています。

http://hanshin-now.com/kobe2008

禁煙の立ち飲み処 [雑記]

20080410

昨日の休みも先週に引き続き街歩き、今回は家内も一緒でした。

ほぼ先週と同じコースでしたが、ざっと辿った所を書くと、
朝の8時半に西九条駅を出発点として、安治川隧道を潜り、
エレベーターを出て直ぐに左に折れ、安治川左岸を遡行し、川口の教会で少し休憩です。
出入り自由という形で開放しているこちらの教会は、
平日の午前中という時間に訪れる人もなく、
ステンドグラスからもれてくる穏やかな光に身体を浸していると、
日々の生活にささくれ立った心が癒されます。
私はクリスチャンではありませんが、何かしら敬虔な気分にさせられもします。

土佐堀通りをちょこっと経由して、裏通りに入った所、
にちにちさんという天然酵母を使った焼きたてパンのお店で朝食を購入し、
食べ歩きしながらそのまま堂島川沿いに再び歩き出しました。
国際会議場、リーガロイヤル、国立国際美術館と横目に見やりながらですが、
現在は京阪電車延伸工事のため、ウォーキングにはかなり不適な道路状態です。

田蓑橋を越え、立て替え話しが出ている大ビルに。
トイレを借りに初めて建物内部に入りましたが、
レトロな造りがなんとも気持ちを和ませてくれます。
エレベーター入り口の装飾もあいらしいですし、
これを壊すのはもったいな過ぎますね。
現実問題としては、便利さと経済性の観点から、
新しいものへの立て替えが必要なのかもしれませんが、
合理性だけでは世界は成り立たっていなくて、
不経済なものの存在ってすごく大切だと思います。
この後に通る中之島中央公会堂も赤レンガ基金によって救われましたが、
大切な物や残して欲しい物を、
お上の方々は、浮き世とは随分違った考えをされるようです。
それにしても、中之島界隈は立て替えラッシュで、目新しいビルがあちらこちらです。

その後、バラ園を跨ぐ難波橋から北に折れ、
天神橋筋商店街を北に向けて上がって行きました。
途中天満宮に立ち寄った後に、お題のお店である立ち飲みの酒の奥田に。
暖簾を潜ったのは12時に少し前でしたが、既に3分の1くらいの客の入りです。
瓶ビールにおでんを頼み、一息です。
禁煙なせいか空気が清潔で、何よりも静かに飲んでいる人が多いお店です。
阿倍野にある明治屋に近いものがありながら、またひと味違った好印象です。
明治屋にあるストイックに飲むスタイルは、戦いを強いられている感じですが、
ここでの立ち居振る舞いは、自分の中にある理性を呼び起こしてくれる感じですね。
昼間は油を使う物はやっていないようです。

もう一本瓶ビールを飲んだ後、奥田を後にし、次のお店、寿司の春駒です。
休みになると、お寿司ばかり食べていますね。
この辺りはお寿司激戦区だそうで、お安いお値段で楽しめました。
カウンターごしの職人さんの接客も気持ち良く、満足度の高いお昼となりました。

帰りは、知る人知る天六から野田阪神に至る阪神電車の路線バスに乗ろうとしたのですが、
何と、朝と夕刻だけの通勤、帰社時のみの運行のようで、
10時から4時までの運転は無しという残念な〆となってしまいました。
阪神バスの利用はまた次の機会にということに。


懲りない奴 [雑記]

20080404

昨日も二日酔いでした。
一昨日の夜に中学時代の友人に誘われ、近所で飲んでいたのですが、
途中から酩酊状態に。
チエねぇちゃんではないですが、
マンションの部屋の前の廊下でヒックリかえっていたそうです。
幸い血を流すまでにいたらずでしたが、
もともと正体をなくす程、しこたま飲んでしまう性格です。
人生で二つ願い事を叶えてくれるなら、
「飲酒を止めること」と「いくら飲んでも酔わない身体」を頼みます。


ぷらぷら。 [雑記]

20080402

本日は休業日で何をするか色々と迷いましたが、
去年からの課題だった、灘を含めた江戸積みの歴史を調べるために、
大阪歴史博物館に行ってきました。

8時過ぎに家を出れたので、大阪城まで歩いて行こうと出発です。

途中川口居留地あたりで、雑居地跡の石碑や雑喉場橋跡界隈で油を売ってしまい、
時間の都合上、本町までで歩くのを断念し、地下鉄に乗りました。
別に先を急ぐ理由はないのですが、
午前中に調べ物を済まして、昼からは何処かで一杯やりたいのと、
靭公園近くのブーランジェリータケウチさんでパンを買い込み、
少し荷物ができてしまったので、ショートカットです。

博物館では二階にある学習情報センターの
なにわ歴史塾に訪れました。
何か手がかりになる書籍でもと思っていたのですが、これが何と大収穫でした。
最初は近所の図書館の時と同じで、ぷらぷらと本を手に取りかけたのですが、
こんなことをしていても埒が開かないと思い、
思い切ってセンターの人に相談してみると、
これが大正解で、大阪の古い物の調べ方のとば口を教えていただけました。
『古版大阪案内記集成』という本で、逆引き辞書みたいなものでしょうか、
例えば、酒という単語から、とある古書に登場する物を拾い上げるといった様に、
手がかりのになるようなキーワードが集められます。
更に、脇田修さんという、たぶん大阪の近世史研究の先生の本を紹介していただき、
具体的に関連するページも指摘していただきました。
直ぐ形にできるようなことを知り得たわけではないのですが、
ようやく歯車が動き出した感じで、とても好感触です。
案内していただいたI藤さん、有り難うございました。

気分良く、夕刻から少しだけ店を開けています。